謙遜のような不信仰

日本人は特に控えめな言葉を好みます。

私なんか何もできません。

私は罪びとの頭です。

しかし、その謙遜を装ったその言葉があなたの人生を敗北させているとしたらどうでしょうか。

目次

あなたの言葉があなたを敗北させる

あなたは普段、自分について何を信じ、何を言っているでしょうか。

「私は罪深い人間です」
「私は神の恵みを受ける資格がありません」
「私は何もできません」
「私は罪の奴隷です。」

一見聖書的に正しいことを言っているように聞こえます。

しかし、もしあなたが神を信じて救われたのであれば

あなたは自分について、聖書と全く逆のことを言っているのです。

「あなたは神の傑作です」
「あなたは新しい創造です」
「あなたの内には聖霊によって神のいのちと性質が宿っています」
「キリストにあって注がれている恵みはアダムにある罪の力を圧倒し、凌駕しています」
「わたしはキリストにあって圧倒的に勝利しています」
「わたしの内におられる方はかの者よりも偉大なる方です」

あなたは聖書と同じことを信じ、告白するべきです。

あなたの何気ない不信仰な言葉があなたを敗北させます。

その反対に、あなたの信仰に満ちた告白があなたを勝利へと導きます。

神の言葉を現実化させる

確かにあなたはアダムにあって全的に堕落しています。

しかし、もしあなたがキリストを信じているならば、あなたは、キリストにあって新しく創造されたのです。

新しい創造においてあなたは神の恵みを受けており、罪の力を圧倒しているのです。

アダムの堕落によってもたらされたものを

キリストの救済によってもたらされたものが圧倒し、凌駕していると聖書は教えています。

一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。 ローマ人への手紙5:17 新共同訳

もし、あなたが聖書と反対のことを信じ、それを口で言っているならば

聖霊の救済の力は十分に働くことができず、あなたは敗北します。

聖霊の力はあなたの信仰を通して働くからです。

そんなこと言ったって、実際に私は罪の奴隷となっており、敗北しているじゃないか。

そうかもしれません。

しかし、信仰とは自分が今体験していること、見ていること、触っていることを信じることではありません。

自分が見ているものを信じるのに、信仰は必要ありません。

見えないのを信じるから信仰なのです。

確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。Ⅱコリント人への手紙5:7 新改訳

たとえ自分が見ているものとは正反対であっても、聖書が言っていることを信じ告白していく。

その言葉を語られた神の愛と真実をどこまでも信頼していく。

だから、神はその信仰を喜び、高く評価し、義と認めて祝福されるのです。

それが聖書が教える「信仰」です。

あなたが見ている世界とは矛盾していたとしても、聖書が言っていることは真実であり、うそではありません。

あなたが聖書と同じことを信じ、聖書と同じことを告白していくならば、それはあなたの人生において実体化していきます。

あなたのきよめや祝福はあなたの犠牲や努力によってもたらされるのではありません。

あなたの信仰の営み、あなたの信仰の告白が、神の言葉を実体化させるのです。

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