聖書黙想には、主に二つの目的があります。
第一は神の導きです。
第二は信仰の養育、成長です。
目次
神の導き
神の意志は聖書によって示されています。
聖書こそが神の意志であり、御心です。
しかし、それは万人に対する一般的で、普遍的なものです。
今の、この私に対して神は何を願っているのか。
今のこの私に対する神の御心を知るためには聖書の黙想が必要となります。
今の私の状況に聖書を適応させながら、あれこれと考え、思い巡らしていくときに
この私に対する神の意志、御心が浮かび上がってきます。
信仰の養育
信仰は神の言葉を聞くことによって生じます。
繰り返しその言葉を聞いていく。
神の言葉をただ読んだだけでは
右から左に抜けていくだけです。
神の言葉がとどまり、その心に根をおろして
霊的糧となり
私の信仰を養い育てていくためには
神の言葉を思考の中で繰り返すことが必要となります。
聖書では「反芻する」と言う語があります。
一度のみこんだものを再び口の中に戻して嚙み直すことです。
ある言葉を繰り返し考えることによって
その言葉を深く味わっていくことによって
その言葉に対する信仰を養い育てていくことができます。