あなたが確実に天国に入る方法を聖書は教えています。
それは神があなたに与えることのできる最高のプレゼントです。
人生の総決算
死んだ後、私たちはいったいどうなってしまうのでしょうか。
生老病死。四つの苦しみの中で、「死」は人生の最後に立ちはだかる最大の危機です。
死はすべての人に等しく例外なく訪れます。そして、死んだのち、人は神の裁きの法廷に立つことが定められています。
【新共同訳】
ヘブル人への手紙
9:27 また、人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように、
9:28 キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、御自 分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです。
神の法廷に立つ時、私たちは自分の人生について神の前に報告し、その裁定を受けることになります。
神が与えた人生をどのように用いたのか、その報告、清算を求められます。
神がその人に託された使命をどのように果たしたのか。神の意志に逆らい、隣人を苦しめたその悪事の数々が取り上げられていくことでしょう。
神の法廷において、おそらく、「有罪」という判決が予想されます。
人間の裁判とは違い、神の法廷においてはすべての出来事が明るみに出されて、ごまかしようがないのです。絶体絶命です。
逆転無罪
この時、わたしは恐る恐る手を挙げます。
「裁判長!」
「わたしは生きている時、『福音』というありがたい神様からの申し出を聞き、その言葉を信じました。」
福音とは:言葉の意味は「良いニュース」です。具体的には、イエス・キリストが成し遂げた行為を指します。イエスが自ら犠牲となり、私たちの罪悪を背負って十字架刑にかかり、神の罰を身代わりに受けてくれたのです。そのおかげで、福音を信じる者はひとりも滅びることなく、すべての罪が赦され、罪のない者、義人であると承認されることができます。
そんな虫のいい話があるか!
しかし、これは、神の方から一方的になされた慈悲深い申し出であり、新しい契約(新約聖書)において定められています。
わたしが勝手に作り出したものではありません。誰もこの契約を無効にすることはできません。
「うむむ・・・」
この瞬間に私たちの永遠の運命が決定されるのです。
裁判長の最終的判決の言葉が響きます。
「この者を無罪、義と宣告する!」
やったー!助かった。
こうして、悪魔がどんなに私たちに不利な罪状を告発しても、形勢はひっくり返って、私たちの無罪判決が確定します。
そもそも悪魔が「福音を信じる者」を告発することなどできないのです。
その起訴状に記録された罪状の一つ一つが、キリストの働き(十字架)によって塗りつぶされ、無効とされてしまったからです。
サーッ!と私たちの魂は天国に引き上げられていくのです。
悪事を赦してもらう方法
実はこの福音は古い契約(旧約聖書)において、予め、象徴的に示されていたのです。
古い契約において、人が罪を犯した場合、その罪を赦してもらう方法が律法によって定められておりました。
この「贖い(あがない)」と呼ばれる罪をゆるしてもらう儀式とは次のようなものです。
贖い(あがない)の儀式とは:犠牲の血をもってその人の罪を覆い隠すことです。人が罪を犯し、それを赦してもらう場合には、犠牲となる羊や牛を用意して、その動物の上に手を置く。これはこの犠牲と自分とは一体であり、私の罪をこの犠牲に移して背負わせるという意味です。それから、祭司はその犠牲を殺し、その血を祭壇に注ぎます。
旧約聖書においては、この罪のない犠牲の羊や牛の血が身代わりに流されることによって、その人の罪悪が赦されたのです。
- イスラエル民族は年に一度、「贖いの日」というものを定め、全イスラエル民族の罪を贖う儀式を執り行いました。
- また、年頭に「過ぎ越祭」と呼ばれる儀式を各家庭ごとに行い、子羊を殺してその血を鴨井と門に塗って、エジプト脱出の出来事を記念しました。エジプト脱出の際、裁きの天使は門に犠牲の血が塗られた家を通り過ぎたからです。
御子イエス・キリストを信じる者、福音というありがたい申し出を信じ、受け入れる者は
ひとりも滅びることなく、確実に天国に入ることができるのです。
私ではなく、神がこの契約文書を定め、このことを保証してくださいました。
御子イエスを信じる者はひとりも滅びないで、天国に入ることができるのです。
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。ヨハネ福音書3:16 新共同訳