アダムとキリストは全く正反対の運命を人類にもたらしました。
アダムとキリストは、私たちの人生にいったいどのような影響を与えているのでしょうか。
アダムがもたらしたもの
アダムが人類にもたらしたものとはいったい何でしょうか。
アダムとエバの堕落によっていったい何が起こったのでしょうか。
アダムの堕落によって原罪というものが入り込んで来ました。
原罪とはいったい何でしょうか。
それは神の意志(律法)に逆らって罪を犯したいという傾向性であり、悪しき性質です。
仏教用語では「煩悩とか業」と言い換えることができるでしょう。
その根源は自分の分を超えて神のようになりたいという高慢であり
自己の栄光(評判)を追求して、自分の行いや犠牲をひけらかすプライドです。
エゴイズムとも表現されるその性格は一種の自己追及、自己中心であり
他者の利益や都合よりも、自分の利益、考えや都合を押し通す頑固さに現れます。
この原罪は、人類を「死」の支配下に置きました。
「死」とは心臓が止まることではなく、神との関係が断絶してしまうことです。
その究極は永遠の死と呼ばれ、「光、いのち、善、愛」である神から永遠に引き離されてしまうことです。
5:12 このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。ローマ人への手紙5:12 新共同訳
アダムとイブの失敗は「人類を原罪と死の支配のもとに置く」という決定的な運命を招いてしまいました。
すべての人は原罪の勢力の下に罪を犯し続けており
神の法廷において有罪となり死に定められるという悲惨な運命のもとに置かれています。
聖霊の救済の働き
キリストがやったこと、それはちょうどアダムがやったことの正反対です。
キリストは第二のアダムとなって断絶の原因となっていた「罪」を取り除き、
神とのいのちの交流を復活させました。
しかし、恵みの賜物は罪とは比較になりません。一人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、なおさら、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです。ローマ人への手紙5:15 新共同訳
「神の恵みが注がれる」という表現がありますが、これは聖霊による救済の働きを意味しています。
聖霊の働きは、「神に従いたい、神と隣人を愛したいという性質、傾向性」をもたらします。
わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。ローマ人への手紙5:5b
「なおさら」という比較表現は、アダムの力を聖霊の力が圧倒し、凌駕していることを示しています。
ちょうど重力よりも浮力のほうが大きくなって飛行機が舞い上がるように
聖霊の愛が注がれ、その救いの力が働く時
原罪の重力に逆らってあなたの生活はより良いものへと上昇していくことができます。
ただし、あなたがその口で聖書と反対のことを言う時、聖霊の力はうまく働きません。
聖霊の力はあなたが神の言葉を信じるその度合いに応じて増大していきます。
逆転無罪
人は多くの罪を犯して有罪と宣告され、永遠に神から引き離される運命にあります。
しかし、福音を信じることによって逆転無罪となったらその人はどんなに喜ぶことでしょうか。
十字架の犠牲によってキリストが勝ち取ったもの、それは「逆転無罪」です。
5:16 この賜物は、罪を犯した一人によってもたらされたようなものではありません。裁きの場合は、一つの罪でも有罪の判決が下されますが、恵みが働くときには、いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下されるからです。ローマ人への手紙5:16 新共同訳
パウロという人は誰よりも、最後の審判を恐れていました。
ですから、彼は法廷用語を使ってキリストの救いを「義と認める」と理解し、表現したのです。
キリストの救いの働きは未来の裁きからも私たちを救い出します。
5:8 しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。
5:9 それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。ローマ人への手紙5:8-9 新共同訳
キリストを信じて神と和解し義と認められた者が
世の終わりの裁きの時に、神の怒りから救い出されることはなおさら確実なことなのです。
キリストの救済は、過去の罪を赦し、現在の罪の勢力から救い続け、未来のさばきから救い出してくださるのです。