聖書の働きが鋭い諸刃の剣にたとえられています。
聖書が鋭く切り込んで、判定するものとはいったい何でしょうか。
聖書のはたらきについて共に考えましょう。
4:12 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。
へブル人への手紙 4:12 新改訳
諸刃の剣
あなたが今考えていること、しようと計画している事柄がはたして神の意志にかなっているかどうか
どうやって判定すればよいのでしょうか。
聖書が生きて働く時、あなたの心の思考やはかりごとを鋭い剣のように切り分け、識別し、判定します。
そのはかりごとが、霊からすなわち、神の霊から来ているものであるか
それともたましいから、単なる自分の判断、思考から来ているものであるか。
それを判別し、判定するための知恵を聖書はあなたに与えます。
霊感された書物
聖書は神の意志(みこころ)そのものであり、その具体的総体です。
神の意志である聖書を今の状況にあてはめ
神の言葉をじっくりと時間をかけて、心の中で繰り返し、沈思黙考していく時に
あなたはそのはかりごとが主のみこころにかなっているかどうか
止まれか、それとも行けか
いずれかのサインを受け取ることができるでしょう。
生きて働くという表現は聖書の霊感に関わるものです。
霊感とはどのような意味でしょうか。
人が神の霊の息吹きによって創造されたように
聖書は、神の息吹きによってつくられました。
それゆえ、神の意志といのちを伝達することができるのです。
主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。創世記2:7 新共同訳
人間は土から形づくられ、塵に帰っていく、はかない虚無的な存在であります。
しかし、神の霊を吹き込まれた結果、いのちの根源である創造者との
いのちあふれる交流によって支えられていくことができる霊的存在でもあります。
聖書は聖霊によって生きて働き、その人の良心に語りかけます。
聖書は、その人の思考や生活における誤りを気づかせ、正しい考え方、神の願う正しい生活へと教え導いていきます。
3:16 聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。Ⅱテモテ3:16 新共同訳