あなたの悲しみ、嘆きをどう取り扱うかによってあなたの未来が左右されます。
それはあなたを絶望へと追い込むこともできるでしょう。
しかし、あなたがそのつのる憂いと悲しみを神のもとにもっていく時に、そこに新しい世界が開かれていきます。
嘆きの歌
詩編はいくつかの類型に分けて研究されています。
その中に「嘆きの歌」というものがあり、詩編の三分の一近くを占めています。
詩人たちは自分たちの悲しみ、悩み、敵などその苦しい状況について神に知らせています。
しかし、それらは絶望に至る悲しみの歌ではありません。
詩編とは神殿の礼拝において歌われた讃美歌集です。
神の祝福に対する応答としての讃美であり、祈りなのです。
祈りとは何でしょうか。
それは嘆きを自分一人で抱え込んで思い煩い、絶望するのとは正反対の道です
秘められた思い、悲しみ、嘆き、苦しみをそのまま神のもとにもっていく。
つのる憂いと悲しみを神の御前にあらいざらい注ぎだす。
あなたの苦しい状況を神に知ってもらう、それが祈りであり、ゆだねるという行為です。
誰にもわからないあなたのその悲しみと苦しみをそのまま神のもとに持っていく時
あなたは「神との対話」という新しい世界に入っていきます。
聖書ではつのる憂いと悩みを神の御前に注ぎだして祈った女性が出てきます。
祈りの人ハンナ。彼女から祈りの人、預言者サムエルが誕生しました。
1:15 ハンナは答えて言った。「いいえ、祭司さま。私は心に悩みのある女でございます。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は主の前に、私の心を注ぎ出していたのです。
1:16 このはしためを、よこしまな女と思わないでください。私はつのる憂いといらだちのため、今まで祈っていたのです。」
1:17 エリは答えて言った。「安心して行きなさい。イスラエルの神が、あなたの願ったその願いをかなえてくださるように。」
1:18 彼女は、「はしためが、あなたのご好意にあずかることができますように」と言った。それからこの女は帰って食事をした。彼女の顔は、もはや以前のようではなかった。
Ⅰサムエル記1:15-18 新改訳
神との対話の中で
神との対話の中で、人は不思議な体験をします。
神がわたしの祈りを聞いてくださったという思いがやってくるのです。
神がわたしの悲しみと痛みを受け止めてくださった。
神が何とかしてくださる、神が助けてくださるという
神に対する不思議な信頼と確信が生まれてきます。
嘆きの歌が多くの場合、嘆き→信頼の告白→讃美へと移っていくのはそのためです。
1:19 翌朝早く、彼らは主の前で礼拝をし、ラマにある自分たちの家へ帰って行った。エルカナは自分の妻ハンナを知った。主は彼女を心に留められた。
1:20 日が改まって、ハンナはみごもり、男の子を産んだ。そして「私がこの子を主に願ったから」と言って、その名をサムエルと呼んだ。Ⅰサムエル記1:19-20 新改訳
あなたの祈りに答えて、神の恵み深い働きが、あなたの人生において始まります。
あなたの嘆きを神のもとにもっていく時に
あなたの心の中に、神へと直結するハイウェイ、祈りの道を設ける時に
あなたの人生における涙の谷は、泉の湧くところとなっていきます。
84:5 なんと幸いなことでしょう。その力が、あなたにあり、その心の中にシオンへの大路のある人は。
84:6 彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。
詩編84:5-6 新改訳