「祈りは必ず答えられる」とイエスは教えます。
その根拠、理由は親の愛情です。
子供の幸せを願う親の愛情がいかに深いものであるかを静かに思い巡らしましょう。
祈りに関する有名な聖句を共に学びます
聖書箇所
【新共同訳】
マタイによる福音書
7:7 「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
7:8 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
7:9 あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。
7:10 魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。
7:11 このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。
7:12 だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」
- 「求める、探す、門をたたく」はいずれも現在形なので、「求め続ける、探し続ける、たたき続ける」となります。
- 8節は、すべて祈り求める者は答えを得ることができるから、あきらめないで信じて祈り続けなさいと教えています。
- 9節はさらに、親が求める子供たちに良いものを与えることを例にあげて、天におられる親である神はなおさら求める者に良いものを与えてくださるに違いないと強調しています。
主イエスは、人間の親が自分の子供を愛し、その幸せを願っていろいろと良いものを備えてくださることを指摘します。
父なる神は、なおさら、求め続けるわが子のために、その祈りに答えてくださる、良いものを与えてくださることを約束します。
親の愛情
あなたが神に祈る時、親のわが子に対する愛情を思い浮かべるように聖書は教えています。
私のおふくろは週の半分は福島に住んでいました。
おふくろはたびたび、頼んでもいないのに、「さくらんぼを送ったよ」とか「リンゴのふじを送ったよ」と連絡してきました。
「自分の子供に美味しいものを食べさせてあげたい」
親というものはありがたいものです。
贈り物には、贈った人の思いやりと愛情が込められています。
自分の子供が貧乏で苦労することを願う親がどこにいるでしょうか。
「神はあなたが清貧であることを願っておられる」というのは聖書の教えではありません。
天におられるあなたの親は、愛するわが子の祈りに答えてあなたに必要なものを備え、良い贈り物を与えてくださいます。
私は父や母を通して「愛」というものを体験的に学びました。
「神の愛」というものがどのようなものであるのかを教えるために、神は私に父と母を与えてくださったのだと思っています。
私の幸せをいつも願ってくれた愛する父と母はこの世を去りました。
しかし、父なる神はいつも私たちと一緒にいて、親と同じ愛情をもって私たちの祈りに答えてくださるのです。
このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。 11節
祈りを破壊する力
あなたの人生は、荒野を旅するような不幸せで、辛いものだったのかもしれません。
しかし、自分の体験から神の愛情を疑ってはなりません。
悪魔はこうささやくかもしれません。
「神は冷酷な方だ。あなたの祈りにはさっぱり答えてくれないじゃないか。」
「神はあなたのこと見放してしまわれたんだよ。」。
「あなたは神に愛されていないんだよ。」
あなたが悪しき者に導かれて神の愛情を否定する言葉を口から出す時、あなたは自分の祈りと信仰を破壊してしまいます。
その反対に、神の言葉に立って、あなたが「神の愛と真実に対する信仰」を口に出すことによって
どのような厳しく状況にあっても、あなたは勝利することができます。
「私はいかなる時にも神を信頼し、神の言葉を信じます。」
「神は聖書に書いてある通りの慈悲深いおとうさんです。」
神の言葉に対するあなたの信仰の言葉をその口から出し続けていきましょう。
聖書に土台した大胆なる信仰の告白が目の前の困難を打ち破る
やがて、聖書に書いてある通りの神、あなたがその口で言った通りのことが起こってきます。
聖書に書いてある通りの「慈悲深い神」をあなたは豊かに体験していくことができるでしょう。
見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いであると、私たちは考えます。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いています。また、主が彼になさったことの結末を見たのです。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられる方だということです。ヤコブの手紙5:11 新改訳