祈りの推進力

祈りの動力、推進力とはいったい何なのでしょうか。

私たちの内に祈りを生み出すものとはいったい何なのでしょうか。

嘆きの祈りの重要性はどこにあるのでしょうか。

目次

無力さの自覚

私たちを祈りへと駆り立てていくもの、それは私たちのどうしようもない弱さ、愚かさ、無力さの自覚です。

正しい生き方がしたいのに、それができない。

自分の憎む愚かな行為を繰り返してしまう。

そのどうしようもない無力さ、愚かさ、自己の内に潜む反逆性に対する深い悲しみが

神への救済を求める叫び、言葉にならないうめきとなって、嘆きの祈りを産み出していきます。

祈りの推進力とは自己の無力さの自覚であると教えてくださったのは、O・ハレスビー先生でした。

詩編の三分の一は嘆きの祈りです。

祈りは弱い者のために備えられた最後の頼みの綱であり、救済の手段です。

自己の弱さ、罪深さ、愚かさを痛感し、自覚する者だけが真に祈ることができるのです。

祈りを生み出すもの

祈りの本質をこのように考える時、祈りが恵みの世界であることがわかります。

すなわち、人間の心の内に彼の愚かさ、反逆性、自己中心性を啓示し、自覚させるのは

神の啓示による働きかけであることがわかります。

通常、神の言葉が聖霊によって用いられて

強い啓示の光となってそのたましいの深みを照らし出します。

神の言葉によって、「ハンマーに打ち砕かれたたましい」のようになってへりくだる者に対して

神は救済の恵みを与えてくださいます。

神は高ぶる者に敵対しますが、へりくだる者に対しては恵みを与えてくださるからです。

あの悪らつなアハブ王でさえも、預言者エリヤによって語られた主の言葉の前に打ち砕かれました。

21:27 アハブはこれらの言葉を聞くと、衣を裂き、粗布を身にまとって断食した。彼は粗布の上に横たわり、打ちひしがれて歩いた。
21:28 そこで主の言葉がティシュベ人エリヤに臨んだ。
21:29 「アハブがわたしの前にへりくだったのを見たか。彼がわたしの前にへりくだったので、わたしは彼が生きている間は災いをくださない。その子の時代になってから、彼の家に災いをくだす。」列王記上21:27-29 新共同訳

ダビデも預言者ナタンによって語られた神の言葉の光の前に打ち砕かれ

へりくだって、神の憐れみを求めて叫びました。

このような砕かれたたましいの祈りを神が軽んじることはありません。

しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません。詩編51:19新共同訳

心の戸をたたくイエス

祈りは、人間から神への働きかけによってではなく、神から人間への働きかけによって生じるものです。

それは律法ではなく、聖霊による恩寵の世界です。

私たちが神の戸をたたいて救いと恵みを求める前に

神が、私たちの心の戸をたたいて救いと恵みを与えようと働きかけてくるのです。

祈りとは聖霊の働きかけによって、私たちの心の内に生み出される神のわざ、恵みの活動なのです。

ラオディキア教会は、自分には不足しているものは何もないと考えており、自己満足に陥っていました。

しかし、実際は神の臨在を締め出して、神から遺棄される(吐き出される)危機に陥っていたのです。

そのような神の民に、自己の悲惨な真相に気づかせ

純金の信仰、聖い生活という衣、霊的開眼という目薬などの恵みを与えようと

主イエスは、私たちのもとを訪れて、御自分との親しい交わり(ディナー)を求めて、その心の戸をたたいておられます。

あなたは、あなたの心の戸をたたくイエスの声を聞いて、聖霊の内なるうながしに応答するでしょうか。

3:19 わたしは愛する者を皆、叱ったり、鍛えたりする。だから、熱心に努めよ。悔い改めよ。
3:20 見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。黙示録3:19-20 新共同訳

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