死とは何か

「死」とはいったいどのようなものでしょうか。

聖書は「死」というものをどのようにとらえているのでしょうか。

目次

死とは神との断絶

死とはいのちの根源である神との断絶です。

いのち、善、光、愛、義の根源である神から引き離されることほど恐ろしいことはありません。

聖書では三種類の死について言及しています。

霊的な死、肉体の死、永遠の死です。

霊的な死とは、神との霊的な交流が断ち切られることです。

肉体の死とは、霊魂が肉体から分離することです。

永遠の死とは、その霊魂が永遠に神から引き離されることです。

反対に永遠のいのちとは、永遠に神とのいのちの交流が続いていくということです。

断絶をもたらしたもの

神との断絶をもたらしたものとは何でしょうか。

それは神の意志に背いたことです。

神と人間との交流が断ち切られた出来事が、創世記に記されています。

2:16 主なる神は人に命じて言われた。「園のすべての木から取って食べなさい。
2:17 ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」
創世記2:16-17 新共同訳

善悪の木の実から食べてはいけないという神の意志に逆らい、その禁令を破ったこと

ここに聖書が「罪」と呼ぶものの本質があります。

罪を犯した者は必ず死ぬと神は仰せになりました。

アダムとエバはすぐに肉体的には死にませんでした。

しかし、彼らは確かに死んだのです。

すなわち、罪を犯したその瞬間に、霊的な死が即座に彼らをとらえました。

神との霊的な交流が断ち切られてしまったのです。

神と人間との断絶を聖書は象徴的に描いています。

3:8 その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、
3:9 主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」
3:10 彼は答えた。「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」
創世記3:8-10 新共同訳

人間は神の顔を避けてエデンの園の木の間に隠れます。

神はあるべきところから脱落した人間に呼びかけます。「あなたはどこにいるのか」

今までの神と人間の交流が失われてしまいました。

「裸」という語は人間の罪の姿を象徴します。

罪を犯した人間の心の中に、恐れと恥の意識が生じました。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次